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4月になるとあいつのことを思い出す。 4月1日生まれの彼女のことを思い出す。 あいつに出会うまで私は、4月1日生まれが学年で一番年下だということを知らなかった。 入学直後のオリエンテーションなんかでありがちな「誕生日順に並んでみよう!」イベントで、あいつはいつも苦笑いしながら最後尾についていた。 最初は友達の友達で、たまたまクラス一緒だし読書好きみたいだしとりあえず、みたいな気持ちで接していたような気がする。 それが気付けば中学3年間同じクラス、挙句の果てには同じ高校の同じコースに進学してしまったのだから驚き。別に示し合わせたわけでもないのに。 私が初めてライトノベルに触れたのは、あいつが貸してくれたライトノベルだった。 『アリソン』や『マテリアルゴースト』は、あいつが貸してくれなかったら出会っていなかっただろう作品で、その作品がなければ私は今こうしてネットでブログを書いてはいないだろうことを考えると、感謝するべきなのか複雑な気分になる。 貸してくれた小説や、お互い勧めあって読んだ小説の感想を言い合うためにメールをしているうちに、それはいつの間にか詩の送り合い、イラストや自作小説の送り合いになっていった。リレー小説もしたような気がするけど、内容を覚えてないってことはきっと頓挫したんだろう。 ただそれはあくまでもメールでのやり取りで、現実の学校生活ではお互い他につるむ友達がいて、基本的にはやっぱり友達の友達だった。それこそ本の貸し借りとか、人数の必要な班決めとかでしか話さなかった。どちらかというと、メル友だった。 高校に進学したら、私はなんとあいつ以外に話せる相手がいなくて、仕方なく中学の頃よりは頻繁につるむようになった。ペアを組むのはあいつだったし、一緒に下校するのもあいつだった。 ただそれでも、お昼はそれぞれ読書しながら一人で食べていたし、誘い合って放課後や休日に遊びに行く、なんてイベントは全く発生しなかったので、そう考えるとやっぱり、素直に友達と言うのも癪な気がしてくる。友達と言うには距離がありすぎでは……? 一方でメル友としての関係は続いていて、作品の送り合いはほぼ毎日していたので、なんだかちぐはぐだったなあと今になって思う。 私が体調を崩して高校を転校してからは、ほとんどメールをしなくなった。 ほぼメル友だったのにどうしてだろう。現実で接点がなくなったことで、読書や作品の方向がずれていったのかもしれない。自分だけその学校を辞めることに気まずさを覚えて、私から疎遠になったのかもしれない。体調崩して鬱々としたメールしか送らなくなった私に、あいつのほうが嫌気が差したのかもしれない。 疎遠になり始めた頃、一度、開設したてでよくわからないのでページがどうなってるか見てほしい、という理由で、あいつの創作サイトのURLが送られてきたことがある。本人はもう内容を詳しく見てほしいわけではなかっただろうし、後に閉鎖して忘れた頃に移転したりしていた。二度三度の移転を経たそのサイトを、私がまだ追っているなんて、あいつは知りもしなかっただろう。 お互いがどうしているかほとんど知らないまま、私たちは成人式まで顔を合わせることがなかった。 あいつがいなければ、私は読書の楽しさを知らなかった。 あいつがいなければ、私は創作の楽しさを知らなかった。 小説の世界に足を突っ込んだ私にとって、あいつは憧れそのものだった。 友達だったなんてまっすぐなことは言いたくないけど、それでもあいつは私にとって重要な、大切な存在だったんだろう。 こうして毎年4月に、しみじみ思い出すぐらいには。 あいつが死んでから今年で5年。 あいつの命日ではなく、誕生日に思い出すことに、少しだけ苦笑いしつつ。 あいつにもらったものを抱えて、あいつにはなかった今日を、私は生きている。 ▲
by fubuki-a
| 2017-04-09 23:59
| 独リ言ノ葉
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たとえば私は「リア充」だとか「イケメン」だとかそれ系の人種を割と毛嫌いしているけれど、それは何故だろうとふと考える。
リア充はまあ、自分の現実が充実していないことを自覚させられて惨めな気持ちになるから、という理由で一応納得はできるけれど、イケメンは別にいいではないか。普通の女の子なら「キャーカッコイイ!」「あの人よくない?」と騒ぐところではないか。普通にいいと思えないのは、むしろ関係を持つのをごめんこうむりたいのは一体何故なのか。 リア充相手と同じように自分が惨めになるから? なんか違う。惨め、っていうのは憧れからくる感情だと思うから。確かに私はイケメンではないけれど、超絶可愛いアイドルとかでもないけれど、でも別にブスだと言われたこともあまりないし、そもそも自分をろくに知りもしない奴らにちやほやされるなんてまっぴらごめんである。憧れもクソもないわ。あんな風にはなりたくない。普通万歳。平和が一番さ。 ああ、「あんな風になりたくない」、ってのが一番正解に近いかもしれない。ちやほやされて調子に乗りたくないし、そんな形で自信なんて持ってもそれは他人ありきだからいつかは崩れるものだし。ああそうだな、「自信」かな。とても自信ありげに生活を送っていそうだけど、自信が持てない人間の気持ちなんてわからないんだろうな。底辺の気持ちなんてわからないんだろうな。……なんて、偏見だろうけど。 ひとの気持ちがわからない人間になりたくない、ひとの気持ちを考えない人間になりたくない、って思いが私にはあって、そのイメージとして真っ先にあがってくるのがイケメンとか、いわゆる勝ち組、なのかしら。 別にイケメンがすべてそうだとは言い切らないけど、驕るような人間にはなりたくないなあ、と、そういう話なのかな。 イケメンと言われるひとたちに失礼すぎる偏見である。 ……でも、なんだろう、最近私も割とちゃんとした生活を送れていて、以前の底辺にいた自分を忘れそうで、それは悪いことじゃないんだけど、でも、過去の自分さえも理解できない人間になるのは、駄目だな、と、思ったりする。 ネット民らしく、自戒を込めて。ネタとして終わろうか。 ▲
by fubuki-a
| 2014-06-10 03:40
| 独リ言ノ葉
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青春ってなんだろうなぁ、とふと思う。 たとえば、高校生が主人公の、何でもないくせに輝いてる日常が描かれている小説を読んだとき。 たとえば、女子高生がバスの中で部活仲間とバカな話をしながら笑ってるのを見たとき。 たとえば、制服着た中学生の女子と男子が二人で、別れを惜しむように立ち止まって話し込んでるのを見たとき。 たとえば、中学生らしき男子が数人、バカ騒ぎしながら競いあうように自転車で傍を走りすぎていったとき。 ああ、眩しいな、と思うと同時に、 うずくまって耳を塞いでしまいたい自分もいる。 自分もあんな時間を、……もう少し過ごせていたら。 輝くような、とはいかずとも、何かに夢中になれるような高校時代とか──青春を、送れていたら。 あの時代は、あの年齢のあの時期は、とても大事なときだったんだなと、今更のように思う。 大切なものを、きっと自分は落としてしまった。 もうあの頃には戻れない。 後悔のような憧れを残して、生きてゆくしかないんだな、と、まるで何かを悟ったかのように。 ありふれた、安っぽい感情を抱えたまま、今日も生きている。 ▲
by fubuki-a
| 2012-07-27 18:34
| 独リ言ノ葉
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ブログに書くべきことではないけれど。 死っていうのはそこら中に転がっていて、例えばマンションで飛び降り自殺があったり、目の前のコンビニの駐車場で人が轢かれたり、人身事故で電車が止まったり、交通事故で旦那さんが亡くなった知り合いがいたり、そういう間接的な死は何度も耳にしていて。 ちょっと考えたら、むしろなんでこんな事件事故多い地域で自分生きてられんだろ奇跡じゃね? とか思えてくるレベルで。 そうでなくても震災とかで死傷者がたくさん出て、生死について考える機会は沢山あったのに。 そこら中に転がっていると知っているにも関わらず、どこか他人事だった自分がいて。 身近で起こって初めて愕然とする。自分は何もわかっていなかった。 自分と同年代、同級生の、しかも割と親しかった友達が、事故で呆気なくいなくなってしまって、 成人式で会ったとき元気そうだったのに、サイトも数日前に更新されたばっかりなのに、 もういないということ。 どう受け止めればいいんだろう。 一週間たったけど、まだ、実感がわかない。 ▲
by fubuki-a
| 2012-06-29 23:56
| 独リ言ノ葉
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ちょっとした記憶。 夕方、変な時間に目が覚めたら リビングで母親が電話してるのが聞こえて 耳をすませて聞いてみると それは私の話で 学校に行けない娘の現状を嘆いていて ねえ、聞こえてるよ わたし、起きてるよ 喉渇いたーとか言ってリビングに出ていってみようか あれ、起きてたの とか話しかけられたり そうすれば電話でのわたしの話も終わるかな でも、足は動かない 声も出せない 電話に話しかけながら母親は泣いている 自分が悪いのかと 泣いている ごめんね 学校行けなくてごめんね いつかまた行けるようになるから きっと頑張るから ごめんね そんな、夜の記憶。 * 古い文章が出てきたので。 ▲
by fubuki-a
| 2012-04-17 13:40
| 独リ言ノ葉
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「どうして自分は学校に行けないの」と過去の私は自分に問うた。
今、「どうして学校に行かなきゃいけないの」と彼は言う。 同じ「行かない」でもやっぱり何かが違って、けれど、何が違うのだろう。 今は学校に行っている者として、一体何ができるだろう。 ▲
by fubuki-a
| 2012-01-25 14:35
| 独リ言ノ葉
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人がとてもいいことを言っているのを見ても、「はっ、綺麗事を」とか思ってしまう自分がいる。
「どうせ結局はみんな自分のためなんだ」みたいな結論に走ってしまう。 なんだか、全体的に、冷めてる自分がいて、そんな現状がむなしい。 ▲
by fubuki-a
| 2011-09-11 23:59
| 独リ言ノ葉
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要するに私は逃げ道が欲しいんだと思う。
自分が潰れないための逃げ道。 潰れないように強くなりたい、ってよりは、絶対潰れるからその前に逃げておかないと、って気持ち。 いいのか、悪いのか。 逃げ道を用意したとして、それが楽な道とは限らないのに。 まったく、馬鹿馬鹿しい。 ▲
by fubuki-a
| 2011-07-05 22:41
| 独リ言ノ葉
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私のなかで、幸せであることと不幸でないことはイコールじゃない。
逆も同じで、不幸であることと幸せでないことはイコールじゃない。 もし幸せではなくても、不幸でなければ生きていけると思ってたし、今でも思ってる。 人生、幸か不幸かの2択じゃないはずだ。 それでも、幸せはやっぱり眩しいんだよなぁ。 ▲
by fubuki-a
| 2011-06-23 16:43
| 独リ言ノ葉
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小説が書きたいかな、と思いつつ、そんなことしてる場合じゃないだろ、って自分の中の真面目さんが呟く。
課題やんなきゃ、と思いつつ、どうせやる気ないんだろ、やりたいことは他にあるんだから、って自分の中の不真面目さんが呟く。 そんなことってよくある。私だけじゃないんだろうけど。 でも、どっちの手を握るか決められなくて、その場で足踏みしてるだけなのは、私だけなのか? 真面目に、かつ不真面目に生きたいなー。でも難しいんだろうなー。 ▲
by fubuki-a
| 2011-06-02 23:40
| 独リ言ノ葉
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